9月5日、「原発事故子ども・被災者支援法に基づく具体的施策に関する東京フォーラム」が「原発事故子ども・被災者支援法ネットワーク」主催で、国会内で開催された。
日弁連山岸会長の挨拶の後、支援法ネットワークの構成団体である日弁連、市民会議、JCNの3団体から問題提起があった。
最初は、日弁連の海渡さんから問題提起。この法案のいのちは、自己選択の尊重、法案の目的にある放射能の健康被害が科学的に十分解明されていないことに鑑み、という部分にある。このフォーラムは、支援法ネットワークの立ち上げ後、第一回目の集まりだ。当面、日弁連は、この法案に基づいて何をさせるか、自治体がすでにやっていることをいかに国の予算としてつけさせるか、母子避難や保養のために公的保養所の開放をさせるか、といった具体的なことを、政府に要求しないといけない。法律の立てつけからして、当事者とNGOが要望していかなければ実施されないようになっている。日弁連としても、皆さんの声をダイレクトに伝える。優先順位をつけるのではなく、さまざまな声をきちんと伝える必要がある。ネットワーク事務局として、政策要求を具体化し、施策として実施させる役割を負う。
次に、市民会議代表世話人の中手聖一さんから問題提起。当事者や支援者の団体が全国各地にあるが、それが一つながりになろうということで、作ったのが市民会議だ。この支援法には、被災者の意見を反映するという条文がある。いまもって私たちの意見をうかがってもらうということをしていない。このまま国が動くのをじっと待つのではなく、働きかけをしていきたい。
支援対象地域は、年間1ミリシーベルトと言っている。強制的な避難は20ミリシーベルトのままで、子どもや妊婦も含めて20ミリシーベルトとはとんでもないと思っている。1~20の間がグレーゾーンで、そこにいる人たちのためにできたのが支援法。ここで大事なのは、福島だけではないということ。1ミリ以上の被ばくをするのは福島だけではない。許容限度を超える全ての地域を対象にするべきだ。1ミリ以下であっても、個々の状況、支援策の種類によって、対象にできる仕組みができるのではないか。参考となったチェルノブイリ法では0.5ミリという基準もある。画一的な線引きで分断すべきではない。
今、復興庁で基本方針に入れるようやっているところだが、私たちの意見を入れていただきたいと思っている。市民会議でも2回皆で集まり、全国で勉強会もしていっており、ニーズを整理している。1つ目として、原発事故により発生した生活ニーズ全般を取り扱うべきだということ。公平性を議論するむきもあるが、その前に被災者と他者との差異をまず考えるべきだ。2つ目として、自己選択というが、自由な選択ができる環境がまず必要だということ。避難の相談を受けるなかで、支援策の有無や充実度から避難先をどこにするかという判断をしていることも分かっている。移動、居住、就労、収入、医療などの支援のジャンルごとに整理していったらよいのではないか。「移動」というくくりであれば新たなニーズが各方面からある。とどまっている方、なかでも特にお子様を持っている方が、全く負担なしに保養に行くのは困難。各家庭の経済力によって、子どもが被ばくを避けられるかどうかが決まってしまう。母子避難・疎開ならば、父親が会いに行く費用がある。自分のように家族で移住した場合も、親が地元におり、移動の費用はある。移動という観点でひとくくりに一元的に支援できるようにしないといけないのではないか。
方針の策定、政策の実施に当事者が直接参加できる仕組みを支援策の中に入れていかねばならない。本来なら当事者が半数を占める会議を国が設置すべきではないかと思っている。また、賠償と混同されているむきもあるが、賠償がどの範囲になるかにかかわらず、国による施策を求めていく。最終的には支援法で、国は東京電力に求償することになっているのだから。
続いて、子ども・被災者支援法の発議者の一人である吉田忠智議員の挨拶。被災者というより被害者と思うが、社民党の参議院の政策担当者として成立に関わった。成立後、さまざまな形で話を聞き、8月27日の復興特別委員会で質問をした。一つ目は、支援対象地域は1ミリで、二つ目は基本方針や施策に当事者の意見反映を、三つ目は予備費や補正で予算化をという質問だ。復興庁が関係省庁と連絡をとりながらやっているが、答弁は検討中だというもの。しかし、事前の質問取りのレクの印象では、平野復興大臣は前向きに受け止めていると思う。財務省とのせめぎあいがある。皆さんがいかに後押ししてくださるかだ。全党、発議者の方にお会いすると、国会議員は連絡しあって、タウンミーティングなどを設定し、意見を聞くことをしないといけないと思う。それぞれの取り組み段階で、各省庁を監視し、私たちにどんどん連絡し、使って欲しい。法律の趣旨を生かして、被害者の生活が元通りになるようにがんばる決意だ。
ここで問題提起に戻り、JCN代表世話人の一人の栗田暢之さんから発言。愛知から来ている。震災直後からできた、支援者760団体加盟の団体がJCN。いろいろな団体の過不足を補いあい、現地で集まりももっている。広域避難についても、このネットワークに参加して、関わっている。ネットワーク組織なので主体的に何かをするというのは難しいが、福島で6万1千人、ホットスポット10万人といった数字だけが踊っている中、人として支援しないことはありえないということだ。加盟しているぞれぞれの団体は、その団体がどういう趣旨でどういう活動の課題を持っているか、今後どういうビジョンでどういう財源を使うか分からないのが実情だ。東海、山形、愛知で支援者・当事者団体の集まりをやった(添付資料)。平日の昼間で100人くらいの参加があった。支援団体もさまざま、地域間で温度差、支援団体に濃淡がある。自治体もさまざま。被害者一人一人から考えれば、避難した地域によって受ける支援が違うのはおかしい。善意の団体で来年はできないという団体もある。支援団体への支援も考えないと、支援が続かない。第一義的には被害者の方のためだが、支援者の輪も広がらないといけない。広がるためにJCNのような全国ネットワーク組織が役に立つと思って参加している。さまざまな意見を大事にしながら、県外避難者の方々を闇に葬るわけにいかないのだから、後で愛知からの報告があるが、避難者の方の生の声を聞いたボランティアの報告、そうしたものを全国的にやらないといけない。被害を受けた方の相談窓口が、少なくとも各都道府県に1つは必要だ。愛知県は愛知県被災者支援センターが厚労省の予算をもらってやっているが、来年度どうなるかは分からない。中間支援組織として全国で1つ、そして各党道府県に1つずつつくりたい。よりよい支援の方策を皆さんと考えていきたい。
引き続き、福島県弁護士会の槇弁護士からの報告。福島県弁護士会で緊急アンケートをとった。弁護士であり被災当事者でもある立場から。自分も事務所は弁護士事務所として一番空間線量が高い福島市にある。福島の弁護士はがんばってきたが、賠償にずっとたずさわってきた中で、賠償に限界を感じていた中で、7月10日の院内集会で、賠償ではカバーできないものをこの法律でできるという印象を持って福島県弁護士会に帰った。子ども・被災者支援法について会で組織をつくろうということで、子ども・被災者支援法プロジェクトチームを立ち上げた。重い組織で会としての意見を取りまとめるのは大変だが、直接話を聞いてきたものを、幅広く、お盆期間中に、全会員にどんどん出してくれという形で集めた。PT7人は子育て中や新婚、未婚など、被害にダイレクトに関わってくる人たちがやっている。アンケート結果の羅列だが、急ピッチで作った。残った人に対する支援、戻る人の支援、避難した人に分けた。(詳しくは資料参照)。要点というより変わった視点を挙げると、乾燥機購入費用の助成というのも、突飛なようで切実。砂遊びできない、砂場の上に屋根をつくればいい、土を体育館の中に入れればいい、という提案。水が検出限界値内でもミネラルウォーターを使うので、その補助が欲しいなど。南相馬市の小高区が避難解除されたが、住める状態ではなく日帰りせざるを得ないから、遅々として作業が進まないので、現地に宿泊施設ができないか。リフレッシュ的なものの費用助成、休暇制度をつくった企業への助成。残った人にとっては除染ということで、除染の日を国民の祝日にしていっせいにやれば効果も高いし、全国からボランティアを集め、ボランティアへの助成もし、事件を風化させない効果もある。自分自身は小さな子どもを育てているが、妊娠中の人、これから結婚をしようという世代は、これから結婚や出産を控えようとしているので、そういった視点も必要。賠償は賠償で弁護士会としてがんばるが、補完するいい法律なので、具体的施策をできるようがんばりたい。
続いて、愛知県の避難者会の方より。栃木から愛知に避難した。那須塩原は福島と同じで1ミリだ。栃木は水や生乳や野菜が出荷停止になり、外で遊ぶ子もなく、二人の子どもの健康不安で広島に避難した。避難先では栃木県なのに、という声もあり、栃木県は対象外ということで何の支援もなく、貯金を使い果たした。自主的行動ではなく、当たり前の行動だ。貯めてきたお金を全て避難に使うのは正しいことではない。入院や妊娠や出産があり、誰も知らない土地に避難していて、何の受け皿もない。それは精神的ダメージとなる。確実にあの時に被ばくしたので、子どもたちの将来が不安だ。今は、子どもが外で遊んで笑顔だが、将来、闘病生活にならないか不安。定期検査を強く要望する。一生けん命子どもを守るために動いたことを誇れるようにして欲しい。
避難当事者の方より。郡山から静岡県富士宮市へ昨年8月に避難した。避難した場所、土地によって差が出ることないようにして欲しい。当時、郡山から出る時は、ひっそり、こっそりと出た。住民票を避難と言わずに移した。当時、警戒地域以外は対象にならないと富士宮市から言われた。静岡県から、被災者の対象になるという通知がきて、9月に借り上げ住宅制度が終わるから登録するようにと。なんとか、ネットに登録して、いろいろな情報がまわってくるようになった。今でも自身、勝手に逃げたのか、国が認めた避難なのか分からない。自主避難の賠償が決まった12月6日、東京の会場で、田中俊一氏が、自主避難者は正当な避難者でないという趣旨のことを言った。だから、正当な避難者ではないという気持ちをぬぐい去れない。具体的にどういう形の施策になるか、個人的には描けてない。年間20ミリシーベルトの撤回がないと、何もはじまらない気持ち。撤回しないのは人権侵害だと思う。福島にいる時、考えた言葉がまとまらない時に、自分たちが思っていることはこれだということが、中手さんの話だった。愛知の活動の冊子のまえがき(愛知県被災者支援センター発行の「気持ちを手紙に」のはじめにの部分)を読んで、自分たちの気持ちを察していることが分かった。この法律が私たちの指針になるようにしていきたい。
避難当事者の方より。福島市から米沢に避難した。3月12日に飛び出して、山形1万3千人、米沢にも多くが避難した。米沢避難者の会をつくり、支援法に取り組み、谷岡議員や荒井議員には要請書を提出している。福島県民全員県民健康調査を生涯やって欲しい。被害者手帳をつくる。1ミリシーベルト以下。交通費は、山形・米沢から福島の行き来の交通費について、高速道路の無料化がなくなり、週4回が2回とかになっている。以前に戻して欲しい。働いている人が家族に会うための費用だけでなく、免許証更新など地元に行かねばできない用事もある。米沢で寺子屋を週3回2時間やっており、雇用促進住宅に住んでいるのでそこの集会場を使っているが、月6千円場所代がかかって被災者が負担している。そんなばかな話はない。無料化せよとどこに言ってもだめだった。集会場を無料化せよ。机といすの費用もだ。山形で一番大きい問題は住宅問題。借上げ住宅が2年間だったのは運動して3年間にした。これを4年5年10年とのばしていかないといけない。支援法の精神にのっとれば当然のことだ。
宮城県丸森町から来た、子どもたちを放射能被害から守るみやぎネットワークの太田さんより、宮城の現状報告。宮城県は原発事故後、県南部は福島に隣接しており、福島に準じた被害があった。事故後は遠くに避難した。地域から離れることのメリット・デメリット考え、子どもともに戻ってきた。みやぎネットワークは、ゆるやかなネットワークを県南部でつくっている。「県境の壁」と呼んでいるが、その線を越えると支援策が全く違う。健康調査もない。汚染稲わら、牛肉の汚染で話題になり、県知事が安全宣言をして、その気のゆるみが被害を広げた。昨年11月に子どもたちの健康調査をして欲しいという要請を断り、有識者委員は県に沿った意見を出す。会議は1時間で終わって、健康への影響はない、県境の80人程度の調査をやって不安払しょくしたとする。甲状腺に結節見つかっても大丈夫としているが、定期的検査をしないと意味がない。今年の6月に明るいニュースがあった。宮城92団体で県議会に子どもたちと妊産婦を守る請願を出した。内部被ばく、積算線量、健康調査など、3回出し直して、全会一致で請願採択された。しかし、県の担当者と話しても何も変わっていない。「1ミリシーベルトは法律違反ですよ」と言っても、担当者は苦笑いするだけ。「県境の壁」があるので、丸森町は独自に甲状腺検査をやっている。町医者がやっているから専門性への疑問もあるが、他の市町村では、健康調査をやることが不安をおこすとしてなかなかやらず、県北部の栗原市がホールボディカウンターをやっているくらい。消極的市町村はしないので、国で一律にやって欲しい。県南部と北部が汚染され、中心の仙台は汚染がないため、大きな声があがりにくい。一緒に声を出して欲しい。この法律を実効性あるものにしていきたい。
高橋千鶴子議員より挨拶。比例東北ブロックで復興特委員をやっている。今日は、福島みずほさんと一緒に、立法不作為だという集会と立法したのに何をしているのかという集会をまわっている。本当に悔しい。この法案は議員立法で全ての会派が一致してやったので、これを生かせるか、まさにわれわれの力が試されている。こういう場をどんどんやると同時に、個々の分野の詰めをやる必要がある。基本方針を復興庁がつくらないといけないと悩んでいるから。福島特措法は、ここまでたどりつかなった。福島の経済ばかりで、福島に戻ればいいというものだった。国会で何度も質問し、今外に出た人も戻りたいと思っている、そういう人たちにも支援する法律に、と繰り返し言ったが、これが今回の法律の形になった。福島県民だった人だけではなく、広く汚染は広がっている。福島県外の人も対象になるということを審議の中で確認し、差別をしないということ、そして避難する権利をと枝野さんに聞いて認めさせたが、それは東電の賠償で手を引けということだった。クリアランスの100ベクレルも高いと言ってきたが、8000ベクレルになって、指摘し続けたら、240ベクレルと環境省が言い出した。
避難者受入れ団体、愛知県被災者支援センターからの報告。避難する権利、避難した方を支援というのは、地方公共団体が責務を持つと法律にある。避難者1052人の1割が北関東からの避難、6割が福島からの避難。初年度は住宅や生活物資や交流会の開催、出会いの場をつくることがメインだった。2年目は、一人一人が違い、心のストレスがたまり、家族それぞれの思いもあるという中で、市町村と一緒に避難する人たちのネットワークをつくることを目標とした。共通する課題は市町村にフィードバックし、臨床心理士などの協力も得る。自分は生協職員だが、生活物資送ることで、見守りをすることを今年度はやりたい。物資は企業などの協賛を得る。被災者支援センターは、愛知県自身が予算を確保したからできたことだ。支援センターがあるから愛知県にいるという方もいる。全国にたくさんの方がいるが、母子避難は小さいお子さんがいて大変だ。県外の生活を選んだ人は一人ではなく、関係者や市町村がみている、というメッセージを発すること、国が軸を示す、それを法律が示してくれた。全ての都道府県にそういうセンターがあるという体制を、財政の裏付けがある形でつくる必要がある。体制があれば、一人一人の悩みも受けこたえられる。パーソナルサポートが合言葉だ。
引き続き、被災者支援センター事務局長より。申し分のない理念法ができた。あまりにもすいすいできて、避難者が知らない。市民も知らない。それでよくなるはずがない。愛知県は、避難したというだけで、3月18日から公営住宅を開放した。しかし、鍵をもらって入ったら、電気、ガス、など何もない。生活用品を早く入れてくれと運動したが、後で、布団や電気製品が供給され、それぞれ2つずつ持っている。そういうことないようにしなければ。サフランが来て、避難者に聞いたことがまとめられている(報告書)。生の声を聞いてもらう。すいすいとこの法ができないように。阪神大震災の時は市民がつくった生活再建支援法で全壊100万出るようにしたのだ。マスコミ取材、シンポ、チャリティーコンサート、議会での発言など、チャンスを見つけ、現在、12~13名のメンバーをそろえているが40人とかにして世間に訴えていきたい。
新潟県広域支援対策課の加藤さんより。避難者は3月12日末で1万人いた。28市町村で4600人と、山形、東京に次いで避難者受け入れで全国3番目。福島からが98%。自主避難者半数、母子避難が4割。避難者の悩みで把握しているのは、福島県の職員が駐在しているからその方々が十分わかっているのもあるが、借り上げ仮設住宅の借り換えがなかなか認められない、子どもの教育、被災地元とのつながりの維持、交流拠点がいつまで続くか、経済的負担、高速道路料金無料措置再開、除染の進み具合などが多い。受け入れ自治体の課題を考えると、県としては関係機関とともにスムーズにやったし、市町村やNPOが率先してやったが、そこには、中越地震の経験とその恩を返そうという気持ちがある。様々な方が、県内で震災が発生した時と同じように、寄り添う気持ちで生活支援をやってきた。具体的には、避難者の把握、名簿の精査、借り上げ住宅供与、見守り、子育て支援、交流拠点、情報提供、ニーズ把握など。行政が、名簿やニーズ把握や情報提供に関与してやっていかないといけない。災害救助法や特例法によるものはあったが、生活支援に対しては、自治体がどこまでやり、どういう財源でやればいいのか、委ねられている、あるいは委ねられてさえいないかもしれない。自主避難者に対しては、受け入れ自治体から放置されていることが多い。問題の根源として、今までの法や財源が、避難の長期化、自主避難を想定していない。生身の人間をあずかっているので、継続的にやっていく。被災自治体が避難者を把握する仕組み、受け入れ自治体がいつまでどこまでするか、その財源は、というのをこの支援法で明確にして、受け入れ自治体が支援計画を立て、被災者が生活再建できるようにしていただきたい。
福島県避難者支援課の大塚さんより。県外避難者の災害救助法運用の事務、情報発信、交流会への参加などが業務。避難者状況は、16万人避難者がいて、県外に6万人以上、避難区域のみならず自主避難者も相当程度ある。避難者の生活環境やニーズが多様に変化。住宅、就業など、切実なのは、日々の相談で実感。なるべくきめ細かにと考える一方、自治体は受け入れ自治体やNPOで柔軟にやられている。支援活動の継続的安定的活動の持続が厳しいと聞いている。支援法は子どもの医療費減免や被災者生活支援のための根拠法となる。引き続き、国に対し、その動向を注視している。全ての避難者が本来の生活を取り戻せるよう、全力を尽くす。
FoEの満田さんより。先日、8月31日に「HappySmileFukushima」という最近できた福島のお母さんたちのネットワークと勉強会をした。その時の請願書(原発事故子ども・被災者支援法への請願書)をもとに話す。自主避難賠償や20ミリシーベルトの撤回、そして支援法の勉強会を3回やった。この不安、被ばく低減について、行政に対し学校に対し声を届けても聞いてもらえない欲求不満で、考えることをやめていた人もいた。最後の項目を見て欲しいが、支援法で被ばく低減のための常設機関設置を。被災自治体に支援法の活用方法を紹介して欲しい。県民健康管理調査についての要望としては、大変な問題で、調査結果がもらえない、セカンドオピニオン封じ、安心させるための調査になっている。新たな立法をしてでも、被災者参加、市民団体、海外専門家の加わって、きちんとした調査を。
避難当事者より。富岡町出身で、被害者の立場から支援活動をやってきた。去年12月に被害者の会を立ち上げ、顧問をやっている。2月16日に日弁連が10項目の意見書(「
福島の復興再生と福島原発事故被害者の援護のための特別立法制定に関する意見書」)を出した。生活再建支援制度の構築が最初だが、これが実現されていないので、ぜひやって欲しい。仮設や借り上げ住宅を出た後、生活が困る。生活保障法設立のためにできた会だ。住宅もお金も困る。福島県内でどういう問題で困っているか。1つは放射能の恐怖の問題から家庭がばらばら、家族離散で余計な経費。2つは、7月24日の政府の賠償基準発表で過酷な条件、一例は大熊のある場所だと300坪の土地に家があって、政府の評価は2100万にしかならない。大熊はおそらく半永久的に戻れないが、2100万でこれから生活できるか。説明会は突き上げで大荒れ。暴動起きそうな段階。最後に、支援法という根っこを木に育てるようがんばって。仮設まわって署名活動した際の福島の嘆きと怒り、その思いを代弁するために自費出版をした。
福島みずほ議員:社民党は基本計画の中身を復興庁とつめて基本方針の中身をよいものにしようとしている。概算要求に間に合わないが、復興庁は事後要求でも予算化できるということだった。各党それをやっていると思うが、このネットワークで吸い上げて、各党の申し入れをネットワークで一元化したい。待った無しは、健康調査、高速道路無料化。住民票移すとできない。情報開示せよというのは、できると思う。この法律の実効化のためにがんばる。
山下よしき議員:復興特のメンバーだ。発議者は皆、力持ちでうるさがたの議員ばかり。一人一人のニーズを現場で聞いてつかんで、政府につきつけていくことが大事。みんなで現地に行こうという話もしていたし。原発事故で発生した新たなニーズを全部やるという中手さんの話が全て。国が手当てする必要がある。
谷岡くにこ議員:この法律を皆さんと一緒につくってきた。小さく産んだ子を大きく育てていく。全然知られていないと言われたが、大々的に言うことでつぶされることも考えた。でも、できたからもう誰にもつぶせない。皆さんに協力していただきたい。石原という秘書が福島にずっと住んでいる。去年夏から地元の愛知で受け入れをした。大事なことは2つ。2週間ではじめて心を開く。今年は受け入れた子どもたち自身が一緒にやっていくようになった。支援者と被災者がともにやっていくようになってきた。子ども会議をして、支援法を子どもに説明し、きみたちのための法律だ、そこで何をすればいいかを話し合う。葉っぱを触りたいという小学年の女の子。外で遊んでいるのを親に隠す、おばあちゃんが野菜つくれなくて弱っているけど自分のもう限界という小学3年の女の子。福島から来た学生が、子どもたちの気持ちを分かってなかった、自分たちだけでせいいっぱいだった。何を言いたいかと言うと、聞きやすいところから聞くのではなく、聞きにくいところから聞く、言葉にならないことから聞く。それが大事だということ。そして、とにかく、高速道路をただにすることを第一に。同時に、子どもには親に会う権利がある。子どもの権利条約に日本は批准しており、人類が認めている20世紀の権利なのだ。そのための高速道路無料化。もちろん、遺伝子や血液調査も、チェルノブイリで当然やっていることをやらないといけない。日本とベラルーシで健康調査の政府協定が結ばれることが決まった。チェルノブイリの四半世紀の全ての知見を日本がいただくために全精力を傾けたい。官僚はじわじわと変わってきている。協定も重い腰をあげた。復興庁の人も本音を言えなかったが、だんだん人間の感情が芽生えてきた。各党ともやってる。森さんと議連やろうと言っており、議連をきちんとつくる。
瑞慶覧チョービン議員:せっかくできた法律が自治体レベルに落ちてない。当たり前のことを当たり前にしたい、自分たちは悪いことをしていない、ということ。沖縄は日米地位協定のもと、米軍基地がたくさんあって、当たり前のことが当たり前にできないから、よくわかる。
金子恵美議員:福島選出。母は富岡生まれ。母ががんと闘っているが、富岡に帰りたいと言っている。私は伊達市。秘書は伊達市にいる。福島を含め、一人でも多くの人を救うという一つのことが、全員一致すること。言われなき差別、家族離散、基本方針、支援対象地域などを盛り込み、いろいろな読み方ができる法律。基本方針を皆さまと一緒につくっていく。あいまいに見える条文の中にこうやって読めるというところがあるので、一緒に育てていく。与党発議者の仲間で基本方針骨子をつくっている。一方、政府、復興庁でも各省庁の調整をしている。概算要求の大事な時期に基本方針できて、予算要求したかったが、事後要求でどんどんしていこうということになっている。与野党の壁を越えた人たちと一緒に、基本方針をつくり、施策をつくりあげたい。私はいつもガラスバッジをつけている。伊達市では大人にも配っており、私は永田町でもつけている。永田町で風化させないために。
川田龍平議員:ブログ(当ブログ)を立ち上げ、意見を集めた。聞きにくいところから聞かないといけないという谷岡さんの話はその通り。直接言えない人たちのためにネットの窓口をつくった。8月31日をひとまずの意見集約の期限としたのは、政府が8月中に与党に基本方針のたたき台を示してということだったが、遅れていて、9月から復興庁の担当者も変わった。政府に対して、声を届けていく。政界再編の中で、各党ではなく、超党派でやるべきだとつくづく思う。個別にやっていると弱い。超党派で議連使って、与野党関係なく、与党にも入っていただいてやる。政府に要求すべきこととそれ以外を整理して要求し、まとめていくことが大事。各党でやるのではなく、法案成立させるときのモチベーションを持続し、超党派でやっていかねばならない。議員立法の基本方針、支援法補完する個別具体的法律をつくっていかないといけない。国がどこまで責任もってやるのか、あきらめずに声を届け、政府に届け続けたい。法律を通して政府を動かすというムーブメントは、日本の民主主義、国とは何か、私たちは行政にどう立ち向かっていくのかが試されている。私たちの民主主義、政治を変えていくものなのだ。
各議員の挨拶を経て、日弁連の森山副会長が締めくくりとして、今日は150人以上の参加を得、全国各地にセンターをつくるといった具体的提言もある。それらを復興庁に届け、被災者の人権を守るとの挨拶をして閉幕となった。
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