日弁連の海渡弁護士の司会により、福島県弁護士会の本田哲夫会長からの開会挨拶からはじまり、まず第一部は支援法の概要説明の後、若松丈太郎さんの「逃げる 戻る」の詩を大熊町から会津への避難者が朗読した。
「逃げる 戻る」
わたし、わたしたちは逃げ出した
逃げなかった人、人たちがいた
逃げ出したかったのに逃げることのできなかった人、人たち
逃げたくなかったのに逃げざるを得なかった人、人たち
逃げた人、人たち
それぞれに事情があって
それぞれに判断があった
それぞれの判断が許されない人、人たちがいた
わたし、わたしたちは戻ってきた
戻ってこなかった人、人たちがいる
戻って来たかったのに戻ることができない人、人たち
戻りたくはなかったのにもどらざるをえなかった人、人たち
戻った人、人たち
戻らない人、人たち
それぞれの事情があって
それぞれの判断があった
それぞれの判断が許されない人、人たちがいる
メルトダウンした<核発電>施設から二五キロ
わたし、私たちは求められるだろうか
それぞれの判断をふたたび
それぞれの判断を許さずに
わたし、わたしたちはふたたび
引き続き、福島弁護士会からの基調報告として、当日配布資料の「原発事故子ども・被災者支援法に基づき求められる施策に関する基調報告書」に即して、概略の説明があった。
自身、ADR、損害賠償で活動を続けてきたが、昨年12月頃から包括的援助立法が必要だと考えるようになった。国連人権委員会に1998年に提出された「国内強制移動に関する指導原則」の原則25は「国内避難民に対して人道的援助を与える第一義的な義務および責任は、国家当局に帰属する。」となっており、国連機関を含む機関間常設委員会(IASC)が2006年に採択した「自然災害時における人々の保護に関するISAC活動ガイドライン」の第2部2第1項で「国家は自然災害の被災者に対し、支援および保護を提供する主要な義務および責任を有する。」とある。そこで、昨年2月16日に「福島の復興再生と福島原発事故被害者の援護のための特別立法制定に関する意見書」を出し、立法がはかられた。
子ども・被災者支援法を具体化するために、福島県弁護士会子ども被災者支援法プロジェクトチームをつくった。立法に関わった人に福島県弁護士会として御礼申し上げる。PTで基調報告書をつくったが、内容に入る前に、自身のことを言うと、6月末に法律制定されて、7月の院内集会に、法律の存在は知っていたが、中身は知らない状態ではじめて参加した。院内集会で内容を知って、今抱えている問題を打開する有効な方法だと思った。1次避難2次避難、仮設などで相談や賠償にかけずりまわっていたが、思ったようにすすまない、賠償で救えないことを実感していた。よくある相談に、週末避難の費用が出ないか、というものがある。事故がなければかからなかった費用だが、東電に対して裁判をするしかない。裁判やるほどの費用なのか、またそもそも勝てるか分からない。そのあたりを補完するのがこの法律だ。他の弁護士も行き詰まり感があり、賠償と両輪でやろうとPTをつくった。アンケートをとって、具体的施策に取り込んでいる。「生活と環境の完全回復」をキーワードにし、これを前提に全てを考えていこうという姿勢だ。個人的見解だが、交通事故の損害賠償で、「お金じゃない、元の体にかえしてほしい」、「亡くなった人を生き返らせて欲しい」というのが本音だが、その視点で取り組むということだ。
支援対象地域の問題。福島県は全域と考えている。法律は線量基準だが、1ミリなら会津は外れるかもしれない。しかし福島県民はずたずたに引き裂かれた。支援すべき法律が、福島県を再度引き裂くのはだめだ。これは弁護士会全体の意見。
具体的施策の内容、目玉施策は何か。生活と環境の完全回復を突き詰めると、除染に行き着く。現状で、私も住んでいる福島市は、人が住んでいる所で一番高い線量で、年間1ミリを越える。除染は福島市でさえ、3年目くらいではじまって5年で完了という状況。低線量被ばくを続けなければいけない、という失望がある。東電の責任でやるべきなのだ。民間で除染できるよう、認定事業者が除染をして国が直接支払うよう求める。また、これは賛否があったが、除染の日をつくって欲しい。年間1回国民の祝日としてと考えたが、それでは間に合わないので、毎月第二金曜日に、ボランティアも集めて集中的にやる。しかし風評被害が長引くから3年間に限定するという提案をしている。
続いて、佐藤栄佐久元福島県前知事が一言。千年たっても二千年たっても福島を返してくれ。知事時代頼りになったのは弁護士会。これだけの状況になり、心強い先生方のお話を伺った。脱原発や原子力規制委員長の件で朝日新聞に聞いたが、ドイツは技術委員会のほか、倫理委員会があり、哲学、倫理も含んでやっている。日本は、事故などなかったかのようにやっているというのが実感。
これを受けて、日弁連の海渡弁護士が、十数年前、佐藤知事時代に、日弁連として知事の政策検討会に入って核燃料政策をつくっていたとのエピソードを紹介。
Happy Smile Fukushima:福島在住の福島市の母の有志で立ち上げた。福島で避難しないで住んでいる母親の立場として、9月に国に請願書を出した。福島市では、子どもの甲状腺検査が終わって、再調査は2年後。福島市の母親の不安は解消されない。希望する家庭はいつでもどこでも検査できるようにしなければ。福島東部は安心して外に出せない。1マイクロ以上の所に毎日通わせている。母親の精神的ストレスは、子どもも受ける。精神的ストレス低減には除染が必要。除染は来年になるという。国で仮置き場を設定し、除染を早くすすめて、数字が下がることなくしては、避難している家庭の人も安心して戻ってこれない。残っている私たちが環境をきちんとするようにがんばる。
福島市在住、福島市の弁護士だが、一市民として発言する。福島市内で5歳の長男とともにいる。夫婦とも東京出身で、仕事の関係で平成21年に福島に来た。母子を避難させたが、4月中旬に福島に戻した。県外避難の支援があっても自主避難はしない。長男の幼稚園の運動会は体育館だ。週末は県外や猪苗代行ける時以外は戸外へ出ない。線量が高いところのものは食べさせていない。水道水は飲ませない。子どもをかかえる人は苦渋の選択をしている。子どもが低線量被ばくすることを望んでいない。弁護士会の提言には、私が言って入ったものもある。実現することを望む。
福島市出身で市内在住の弁護士。子どもは、一人が年長でもう一人は来年年少に入る。長男の幼稚園では、去年の4月から夏休み明けの9月までに引っ越しする人が多く、お別れの贈り物や手紙を毎週持って帰ってきていた。近くの子がどんどん引っ越して、今年も年少は少なく、幼稚園のクラス数が減った。運動は屋内で、市内体育館で運動会。園庭の除染はやったが30分しか出ない。今年も運動会は体育館。それが福島の幼稚園では一般的。風が強い時はできるだけ外に出さない。転んで手がついたり、花をつんだりしたら、よく洗う。会津など連れて行っている。七夕で短冊に、「放射線がなくなって外で遊べますように」と多くの園児が書いている。県外の人に聞かせたい。長男は、七夕の短冊に、母親に「放射線なくなるように」と「縄跳びできるように」のどっちを書くか相談して、縄跳びなら自分で努力すればできることだからそうしたら、と言われて、縄跳びにした。国、政治が、除染をしなければいけない。子どもが短冊にそういうことを書かないように早くして欲しい。
安全安心アクション in 郡山。今回の9月の郡山市議会に、請願を出して、全会一致で採択された。請願の内容は、支援法に関して小中学生対象で屋内運動場、屋内プールの設置を求める意見書を国に提出させるもの。市議会の皆さんにお礼。屋内施設の充実が大事で、請願書では小中学生に限定したが、ニーズに沿った屋内運動施設を、障がい者や未就学児にも必要だ。満足のいく屋内運動施設要求と保養関連の充実を求める。私は子どもが学校に通っているので、学童世代しか分からなかったが、未就学だと、子どもだけ保養に出すわけにはいかないので、保養休暇が欲しいとのニーズがある。小中学校、部活動単位、クラス単位での保養で、保養もれがないようにして欲しい。何度も行っているお母さんがいる一方、行けない子もいる、そうした格差が出ないようにしなければ。NHKのETV特集でのウクライナの実態を見て、次世代の子どもの安全を考えて欲しい。
(郡山市議会請願第32号「原子力事故による子ども・被災者支援法」に関する意見書の提出を求める請願書)
(「原子力事故による子ども・被災者支援法」に関する意見書)
(郡山市議会請願第32号「原子力事故による子ども・被災者支援法」に関する意見書の提出を求める請願書)
(「原子力事故による子ども・被災者支援法」に関する意見書)
相原しの衆議院議員。神奈川選出で、消費税反対で、国民の生活が第一。神奈川にも心配している人がいる。せいいっぱいかんばる。
森まさ子参議院議員。福島県選出で、この法律の提出の代表者で、全政党で提出できた。提出して全会一致で成立することは多いが、この法律は歴史上はじめて、全政党で提出したものだ。昨年8月に原案をつくり、今年6月成立。各党の思いがつまっている。この法律がなくなても、書いてあることは、政策をつくって予算をつくればできるのに政府がしないから、国会議員としてこの法律をつくった。内閣が無視することは許されない。まだ法律の中身が施行されていないから、毎週超党派で集まって、省庁との交渉をやっている。国会から政府、内閣にステージが移った。健康調査でも、週末避難支援でも、お金、予算をつけるのは内閣。大きな声を集めて国にぶつけていただきたい。
南相馬のひばり地区復旧復興協議会。南相馬のひばり地区、原町区在住で、賠償の件につき、状況説明をした。私は全部で今500世帯1500のADRの書き方教室をボランティアで行った。第四弾までやっていて、年末に第1弾のが出てくる。緊急時避難準備区域は終期が8月末、東電としては8月末ですと言い始めた、文科省で今まで決めていたし資源エネルギー庁はおかしい。そのことを懇談会で聞いても誰も答えてくれない。終期をいつ誰が決めたのか。誰も答えないのは残念。このへんでしっかり今後とも取り組んでいきたい。教室で教えていて気付いた。父親は住んでいて母子は外に住んでいる際の子どものケアが大切だ。父親を返して、ということで1年半過ぎて、母子が帰らざるを得ない。放射能が高い所に帰したくないという葛藤が今の現状。
(ブログ編集者注:この件につき、ご存じない方は、原発被災者弁護団のインターネット上に弁護士による説明がありますので、ご覧ください)
福島市在住で、私は高校生の子どもがいる。被災者支援法には、高校生に対しても取り入れて欲しい。中学高校では、部活動、そして高校では勉強もあって保養になかなか行けない。高校生に対して学習の心配ないようにしないといけない。高校生ではインターハイ目指している子もいる。クラス単位、学年単位で1ヵ月合宿するようなことを提案する。サッカー部の子たちは、呼吸で内部被ばくしてホールボディカウンターで3割が高い値になっていることを、国会議員に知って欲しい。人道的でない。予算がどうのこうの言うなら復興予算も精査して、除染の費用とともに、子どもたちにお金を使って命を救って欲しい。学校の活動として教頭先生は、マラソン大会など3月11日以前の活動に戻したいというが、校庭は0.3~0.6マイクロシーベルトまで除染しても周辺はされていない。カリキュラム本位でやることに関し、福島では適用できないと国が言って欲しい。昨年3月11日に高校生で、県外に出ている子どもたちの医療をみてほしい。もちろん県民全部に必要だが。
Foeの満田。福島に住んでいる子の保養、温泉プロジェクトについて報告する。私たちは子どもふくしま、渡利の子どもを守る会、20ミリ撤回、避難設定など活動し、去年10月8日に渡利で国と市の説明会があった際、国と市は渡利を特定避難緩衝地域には指定しないとして、5時間やりとりが続いた。その時から、避難政策の見直しを国に求めていたが、これは動かないと思い、わたり土湯ぽかぽかプロジェクトを、手作りプロジェクトとして行った。延べ2200人の親子を土湯に。夜に堰を切ったようにストレスや不安を語る。民間にできる保養には限度がある。やってつくづく分かった。週末保養できるのは一部の人。福島市、郡山市、福島県が、低線量被ばくを避けるために、保養をするよう、自治体が支援法を学んで支援法を活用するようにお願いしたい。
双葉町の井戸川町長。意図的に騒がしくしている。無視されたら困るから。一番大事なことは、幻想をいだかされ、それをもとに判断してしまうこと。シナリオに沿って議論するのは、おまかせ民主主義だ。式次第はこうだと事務局をつくって、皆さんが誘導される。これが県内の実情。除染すれば住めるというが逆で、まず逃げる。そして時間をかけて除染だ。大臣に、こういう状況で除染しても、白い所を除染しても他はしないのではだめで、区画整理して元に戻したした後でないと除染はできないと言った。健康被害に関しては、昨年3月に副知事に、あなたがたは子どもたちから訴えられると言った。累積線量ではなく事故の瞬間から、遺伝子が変わってしまう。除染、中間貯蔵施設に、徹底的に反対ではない。普通の山の谷間を埋めて30年、人形峠のウラン残土撤去の裁判記録を見れば、廃棄物が自然に溶け込んでいるし、裁判は負けている。町長は言うことを聞かないと言うが、違う。国が聞かないのだ。
伊達市富野小学校宍戸校長。教育新聞を配布したので見て欲しい。富野小学校は伊達市
の小さな学校。インターネットで動画を出している。6月の移動教室に参加したことの教育的意義は記事に書いた。教育現場に身を置くものとして、子どもたちの声を伝えることが使命と考える。子どもは小さければ小さいほど環境適応能力に優れている。朝、登校の際、全ての子どもがガラスバッジをつけているが、3年生の子がしていないので、「今日ガラスバッジは?」と聞いたら「忘れちゃった」とのこと。子どもたちの安全のために忘れ物をしても戻らないことを原則としているので、「今日くらいいいよ」と言ったが、子どもは「父母に心配かけるから、戻ってくる」と、真剣なまなざし、必死な声で言ったのを忘れない。5月末に南会津で合宿をして、フィールドワークをしたが、「校長先生、本当に草むらに寝転がっていいんですか」と真剣に聞く。「ここは大丈夫だから」と言うと「わーい、やったー、ばんざい」。子どもたちがこんなに日頃気をつけていたんだ、小さな心を痛め、家族のこと思っているんだと。学校ごとの移動教室の機会は大事で、校長は皆さんの要望待ってるので、PTAを通して要望して欲しい。
郡山市議会高橋隆雄議員。東京電力福島第一原子力発電所事故放射能対策特別委員会委員長をやっているが、内容は検討中・議論中でコメントは差し支える。支援法を勉強しに来た。支援法はおかしい。加害者が被害者を支援するのはおかしい。どうしたらいいのか、変えられたら変えたい。郡山で除染がすすまないので、中間貯蔵施設を早くつくって欲しいと、個人的にも周りからも言われている。全天候型運動施設を健康を守るために欲しい、つくってくれという話は、前から思っていた。行政だけでなく民間と運動しながらつくっていきたい。
南相馬市選出の高野光二県議会議員。おばんでございます。小高から出馬当選。支援法を国会議員が超党派でつくってくれて中身もありがたい。これからどういうふうに魂を入れ込むか。私の所は、子どもたちがほとんど避難している。学校は20%しか戻ってない。原発から30キロの原町で、50%は避難している。親が毎週行き来している。高速道路無料化9月いっぱいを延長したが、これを延長して欲しい。毎週帰っているのだから。あとは、支援法では、賠償とか災害救助法とか福島特措法とかあるが対処されていない、被災地の子どもが学校で勉強する環境ないという点に取り組んで欲しい。子どもが学べる環境を。一日も早く元の生活と環境を。
たなか一正南相馬市議。おばんでございます。7万の市民が昨年3月1万人になり、町中まっくら。家は警戒区域から2キロ。かろうじて避難していない。市内を見つめた。4月下旬、避難していた人が戻って2万人に回復。病院が機能していないので南相馬市内の病院を入院できるようにして欲しいと言った。9月には4万戻り、今年10月9日に4万、市外1万8千、転出5千。出ているのはほとんどが若い世代。帰ってこないと未来はない。市外アンケートでは、「放射能こわい」、「働く場所ない」、「小児科医いない」という回答。現在、仕事で別居も多い。教育施設の除染があっても家庭の除染は進んでいない。市内警戒区域以外の除染は2~3年かかる。市内で線量が低い所に鉛の鉄板を入れて、災害復興住宅をつくる必要がある。原発があるために南に抜ける道路が寸断されたままで、交通の便悪く、常磐道もあと2年かかり、大手企業が参入しない。
いわき市議会佐藤かずよし議員。いわき市には、双葉8町村から避難されていて、いわき市からも8千人が避難しており、原発収束の最前線で5千人が常駐しており、中通りとは違う。支援法については、市議会定例会で援護法をつくってほしいと、国と国会に提出した。福島県民全員に年2回健康診断、健康管理手帳配布、疾病したら医療費無料、その他社会保障について、昨年12月意見書を出した。6月21日に援護法できた。森議員も言ったが、超党派でできたが、復興庁はブログでみても遅い。県民からの声や、双葉8町村で市民の意見を集約したい。13条の健康診断と医療の問題について、福島の県民健康管理調査は何だ、法的根拠がなく、法定受託でもない。これで、子どもの健康を守れるのか。毎日新聞のスクープで、事前秘密会議の事実も分かった。意見を出していき、各自治体でこういう集まり開いて県民の声出そう。
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